日記から考える自分の生き方

これは自分が尊敬している人の1人

「サウザー」さんのブログを見ていた時なんですが…。

日記を書いている人と日記を書いていない人の違いについて問うていたのです。

 

これを読んで、自分はどうかなぁと考えたのです。

日記は大学のころから書いていた

僕は勤め人になって1年たったので、実質5年書いたということになるんですかね。

ただ、僕は最初は紙に書いていたのですが途中からPCに書くようになりました。

その理由は単純で、紙のノートを見る習慣がなかったんですね。

僕は工業大学出身(しかも情報系)なのでパソコンは絶対見ていたので、こっちのほうがよく見るか、と思ってシフトしました。

日記の重要性はここにある。

なんだかんだ言って5年間書いていますから、多少日記の効果はわかります。

まず、「自分が考えていたこと、意思を振り返ることができる」ということです。

 

人間はすぐ物事を忘れてしまいます。例えどんな感動的なことがあったとしても

別の事象によって上書きされてしまうでしょう。

例えば、5年前にどんなことを考えて生きていたか、どんなことをしようと考えていたか覚えていますか?

 

僕は5年前は、音楽作りたくて作曲のことを考えていましたし

パッと動けない自分にイライラしていた人間でした。

このころは自分が大嫌いでしたね。今は真逆で自分を愛する人間です。

自分についてよくわかる

あなたは「自分の考えややりたいこと」というのがどれほどわかりますか?

日記をつけたことない人はパッと出てこないでしょう。断言してもいいです。

 

実は日常の中で自分をまとめる時間って作らない限りないんですよ。

みんな自分を振り返るとかまとめたりするのにそんな労力かけませんし

それが重要なことを教えないのです。

 

就職の時の自己分析?あれはダメです。

なんかものすごい婉曲して強みとかにさせられますから。

それするくらいなら、ストレングスファインダーやる方が有意義です。

 

かねてからの疑問なんですが、自分の周りでは日記書いているとはすごく言いにくかったです。

でも、日記って残さないメリットないと思うんですよ。

人間が1日のことをほとんど覚えていない、というのをほぼすべての人が知っているでしょう。

それならば、何らかの形で残さなければ自分の考えや意思を忘れてしまう。それは分かりますよね。

 

その意思がない状態で日々を過ごすとどうなるか?

 

人に流されて生きていく人間の完成ですよ。楽しくないでしょ?それは。

自分の成長が最高のきつけ薬

そんな「自分について知ったり、振り返ることができる」ことの何がいいんだよって

たぶん気になりますよね。

そんなあなたに朗報です。

 

日記書いたら自分の成長ってクッソわかりやすいですよ。

正直自分の考えとやろうとしていたことを書くだけでも、だいぶ変わります。

 

また自分の話になりますが、昔から自分動けない人間だったんです。

2014年の4月7日、まだ大学2年の時の日記です。そこから文章をそのまま拝借すると。

問題は「動かない俺」なんだよ
やる気が出ないのも困るし、知識がないのも困ってだな
とにかく、動かないのが困るんだよ。

これが、今どうなっているのか自分で振り返ります。

少なくともこの頃よりは私は動けるようになりました。

 

もしこの時から「動けないことがダメなんだよ!!」と残していなければ、

私は確実にこのブログを始めていませんし、そもそも勤め人をやめて自分で生きるという選択肢すら知らなかったと思います。

この日記の一言から、今の「行動を少しは早めようとする」自分ができているわけです。

 

つまりは日記からぼくのすべてが始まっているんです。

そして当時の自分がやりたかったことを少しずつ達成し始めている…。

これほど自分に自信持てることはないですよ。

自分を喜ばせられなくて何が他人だ

よく会社でもやらされるでしょう?自分の1年間の目標みたいなの。

あれ、案外大事なんです。目標だけじゃなくてなぜやりたいかとか、理由とかも書いておくとベストです。

ただ、会社でやる目標設定ってのはダメです。それは会社用にアレンジさせられますから、自分の意志というか底から出たものじゃない。

 

それに目標を達成して誰に喜んでもらいたいか…ですよ。

親?会社の人?友人?いや、自分でしょ

 

他人のために頑張るってのは聞こえはいいですけど、僕自身はそんな満足感は得られないんじゃないかなと思う。

他人とはいつか別れることになるし、はっきり言って自分の底から出た目標は他人に喜ばれるものじゃないのが多いよ。

僕なんかは「仕事辞めて、会社に依存せず自分で生きる」ことですよ。

これが人に喜ばれるかって言われたら…ないでしょ。

僕の家だと、仮想通貨やるとかいったら、なんか渋い顔されるんですよ?

 

たぶん親のこととか考えたら「勤め人頑張って今までの恩を返す」とかになります。

でも、それって親は喜ぶかもしれないけど、自分がめちゃくちゃ辛い。

その選択は自分が楽しく過ごすという観点で正しいかっていうのを考えるんです。

「絶対に楽しくないな」って思った時点で僕の中ではありえない選択なんです。

 

みんな親や他人のこと考え過ぎだと思うのです。

他人のため人のため考えるのが素晴らしいとか教えてもらいましたから。

親や他人が喜んで、そしたら自分が喜べるの?って思うんです。そりゃあ親の喜ぶ顔は見たいですよ。

でもそれを続けたいと思うかは、大抵の人が微妙だと思います。

 

僕自身は、自分のやりたいことが第一にあって

他人を喜ばせたり貢献したりするってのは副次的な効果であると思っています。

 

他人が第一に来ると、「他人」のために生きているのと等しいといえます。

それは自分が「自分」である意味がないと思うんです。そりゃあそうだ。

他人のために何かやりたいんだって話なら、「他人」になる方がいいんだから。

そしたら「自分」として生まれてきた意味は何なんだってなりません?

生きていたってつまらないですよ。その他人に翻弄される人生は。

 

だから僕の目標は自分の人生を生きること。

これが叶えられないのなら、人生生きていても仕方がないかなとすら思っている。

ある意味、自分に対しての挑戦。

自分がいつまでに「他人の人生」から「自分の人生」に変われるかの挑戦。

 

俺は、やるよ。

 

おしまい。

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